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【第186回】 地上人の“愛や善意”と、霊界人の“それら”には雲泥の差があることを感じます

はじめにシルバーバーチの言葉を引用します。

私にとっての最大の発見は、地上の多くの人たちが善意と情愛と僚友意識と、そして愛までも、こんなにたくさん持っておられることを知ったことです。<br>また、訴え方が正しければ、その愛を本性から呼び覚ますことができるということ、最高の波長にさえ反応してくれるということ、気高い品行を志し、気高い思念をもつことができるということ、自己の利益や打算を超えた、より大きなものに心を動かされうるということ、理想主義、愛他精神、奉仕的精神にも共鳴してくれるものであることを知ったことです。
(シルバーバーチの霊訓7/147)
これは「シルバーバーチにとって最大の発見は何か」というルースの質問にシルバーバーチが答えたものですが、読むたびに地上人の“善意、情愛、僚友意識、愛”と、霊界人の“それら”には雲泥の差があることを感じます。

なぜなら、地上人も神性を授かっているので、善意も情愛も僚友意識も愛も持っていて当たり前なのに、それを持っていることを知ったことが最大の発見だと言っているからです。

そこで私は、地上人が認識する“それら”と、霊界人の認識する“それら”には、雲泥の差がある、似て非なるものだと思ったのです。

神性は神からの授かりものなので、地上人も霊界人も質は同じですが、発露する段になると、肉体がある地上人の神性発露には本能意識由来の物質性と利己性が混ざり、純粋な神性発露にはならないのです。

ウクライナ侵攻はそれを証明しています。もし地上人が霊界人と同じ純粋な神性を発露していたなら、侵攻など起きるはずがないからです。

起きたということは、地上人の神性発露には物質性と利己性という不純物が混ざっているということですが、私自身、自分の神性発露に不純物が混ざっていて、それが自分の霊的成長を妨げていることを自覚しています。

なので不純物を取り去って、より純粋な神性を発露したいのですが、これまで純粋な神性を発露したことがないので、それを発露したときどういう感覚(気持ち)になるのかが皆目分からないのです。

それに純粋な神性発露など一朝一夕にできるものではなく、永遠の進化の道程の中で少しずつできるようになる遠大かつ壮大なものだと思うのです。

そこでまず私は、“滅私になること”を目指します。

なぜなら滅私になるとは、本能意識由来の物質性と利己性を取り去ることに他ならず、それならば自分が滅私になっているかどうかが感覚的に分かるからです。

その感覚とは、自分を真理普及の道具と位置づけて、寝食を忘れるくらい真理普及に邁進するときの無我夢中の感覚です。

なぜ道具と位置づけることで滅私になれるのかと言うと、真理普及は霊界挙げての大事業なので、その大事業の道具になるには自分を無にしなければ務まらないからです。

それは“捨て石”になるということでもあり、自分を捨て石として自認したことで、これまでどんなに努力してもなれなかった滅私の状態に少し近づけたように思います。

シルバーバーチの言葉に倣って、あらゆる手段を講じて真理普及に努めていきます。
それ(霊的真理)を、いかにして受け入れる用意のある人にいきわたらせるか、その手段を求めて私たちは一層の努力をしなければなりません。
(シルバーバーチの霊訓8/26)


2022年9月15日