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【第160回】「獄中からの手紙」から“謙虚さ”について学んだこと

「“謙虚さ”は宗教戒律にはならない」とガンディーは言っていますが、それは“謙虚さ”は霊性から出るものであり意識して出来るものではないからです。それゆえ戒律にならないし、教化しても意味がないと言うのです。

もし教化したなら“偽善”を教えることになる。なぜなら“謙虚さ”は“儀礼や礼儀”と区別がしずらいからだと言います。例えば、心ではどんなに苦々しく思っていても、その人の前では、いくらでもへりくだれるし身をひれ伏すことができるからです。

それは“謙虚”ではなく“狡猾”だとガンディーは言っています。さらに“謙虚さ”は“無気力”と間違えやすいとも言っています。

それと、もう一つ注意しなければならないのは、相手のためという“親切心”からやったことでも、謙虚さがないと“ただの自己満足”になることです。せっかくの“親切心”も謙虚さがなけば傲慢となって自分の心を醜くします。

では“真の謙虚さ”とは、どういうものなのでしょうか。
ガンディーは「自分が何ほどの者でもないことを知ること」、シルバーバーチは「霊性の指標」と言っていますが、いずれも同じことを言っていると私は思います。

なぜなら霊性が上がれば自分が何ほどの者でもないことを悟るからです。しかし今の地上人は霊性の低さから利己性が強く「自分を偉い」と思って生きています。

それは謙虚さとは真逆の傲慢ですが絶望することはありません。なぜなら、そう遠くない将来、誰もが霊的真理によって謙虚さを身につけていくからです。

もちろん謙虚さは一朝一夕に身につくものではなく、日々の努力、すなわち地道な真理の学習と実践が不可欠です。

ところでシルバーバーチは「自分は本当の意味で謙虚なのです」と言っていますが、今の私にはそれがどういうことを意味するのか分かりません。そこで今は、ただひたすら高級霊に倣って“霊界の道具”に徹していきたいと思います。

最後に「獄中からの手紙」と「思想3」から引用します。

*真の謙虚さは、生きとし生けるいっさいの生類への献身を私たちに求めます。

*真理に従うことを念願する者が、どうして高慢な人になれましょうや。奉仕の生活は謙虚な生活になるはずです。

*真に謙虚であるということは、全身全霊を人間性への奉仕に向けた不断の精進努力を意味します。
(獄中からの手紙/82〜83ページ)
*高級霊が、私たち地上人には想像もつかないような謙虚さを身につけているのは、自分を「神の道具」としているからです。

*道具意識は、本人の心を徹底して謙虚にします。
(思想3・高次元の霊的人生を歩むための3つの秘訣)


2017年06月15日