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【第3回】 全人類は霊的家族 - 1

私は霊訓の中の霊的家族という訓えに、深い感銘を受けました。この訓えが地上の飢餓を救い、地上を平和に導く鍵だと思ったのです。

それにしても“神を親とする霊的一大家族”とは、なんとスケールの大きい惚れ惚れとする訓えなのでしょう。私はこの訓えが大好きです。すべての人々の事をそう思えたら、なんと素晴らしい事でしょう。また、互いが互いをそう思えるようになったら、どんなにか住みやすくなるでしょう。

私たちが言うところの家族とは、肉体の絆で結ばれた家族の事です。私はそこに生まれる家族愛を、何ものにも代えがたい大切なものだと思い込んでいました。

しかしシルバーバーチは、そうした家族愛を間違っているとは言わないまでも、それよりもっと広い愛の方が上だと言っています。その広い愛とは、霊的家族愛の事だと思います。

全人類を我が家族を愛するが如く愛する事ができれば、「自分を愛するが如く隣人を愛せよ」というイエスの訓えの通りになります。しかし私たちは、何故この世限りの家族にこだわりとも思える愛を持ってしまうのでしょう。

私たちは生まれてからずっと家族の一員として沢山の愛情をもらいながら育つので、そのわずか数名の家族が何よりも大切な存在に思うのは致し方ない事だと思います。霊的絆は眼に見えず理解し難いのに対して、肉体の絆は明確です。ですからその絆をより大切にしてしまうのです。

しかし霊訓を学んでからというもの、私は肉体の絆はこの世限りの一時的なものに過ぎない事を心から理解しました。
そうしたら、肉体的な家族に必要以上のこだわりを持つ事がなくなりました。だからと言って家族愛が失せたのではなく、自分の家族同様に全人類を思う気持ちが強くなりました。

わずか数名の家族に心をくだくのではなく、翻弄されるのでもなく、常に全人類・全生命に心が向くようになりました。ちっぽけな家族愛を脱け出した私の心は、ようやく大きな愛を求めて羽ばたき始めました。

今までは、無意識の内に家族という小さな愛に縛られていましたし、特に意識せずとも自分の守る世界は我が家族であると思っていました。そしてそれは、とても良い事だと信じていました。

家族愛を美化していた訳ではありませんが、人としてそれが当然の愛であると思っていたのです。けれども、その小さな愛は、時として小ささ故に苦しさを感じる事があります。シルバーバーチが「家族愛は間違ってはいないけれど、神の愛からは程遠い」と言っているのはそのためだと思います。

小さな愛を大きく広げたら家族の事で悩んだり翻弄する事が皆無になりました。当然ですが、心は常に安定しこの世に思い煩う事がなくなりました。「この世に思い煩う事など何一つ無い事を悟りなさい」と言っているシルバーバーチの言葉に納得です。
常に全人類を霊的家族として見れるように、真理の理解を深めたいと思います。

2004年09月02日