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【第76回】 “意識のあるものを殺害してはならない理由”について考える
“意識のあるものを殺害してはならない”ことは周知のことですが、ではなぜ意識があるものは殺害してはならないのでしょう。それには理由があるはずです。そこで今回はその理由について考えて参ります。それにはまず“意識”を理解しなくてはなりませんが、シルバーバーチは“人間の意識”について次のように言っています。
意識とは大霊の一部である。現在人間という形で表現している意識は、かつては動物、鳥類、魚類、植物、その他、微生物と呼ばれているもの全てを通じて表現されてきた。その意識はこれからも進化と成長を続け、神性を増し物質性を減らしていく。そして、それが創造の全目的である。
“動物の意識”については、(シルバーバーチの霊訓3/113ページ要約)
動物の世界には個的意識はないが、その奥には類魂としての意識が存在する。動物よりさらに下がると類魂の意識もなくなる。意識的生命のあるところには造化活動がある。ゆえにその意識に干渉して顕現の自由を妨げることは間違いである。
と述べています。以上からは次の4つのことが分かります。
(霊性進化の道しるべ/223ページ要約)
- 意識とは霊であり、霊は“無意識の状態”から“類魂としての意識”へ、さらに“自我意識(個的意識)”へと進化・成長していく。
- 類魂としての意識は動物の段階に至ったとき、自我意識は人
- 間の段階に至ったとき持つことになる。 動物より下がると類魂としての意識もない。地上で意識を持つのは動物と人間だけである。
- 意識的生命のあるところには造化活動がある。
ここで最も注目すべきは、「意識的生命のあるところには造化活動がある」ということです。それは意識と造化活動の間には深い関係があることを示しています。意識こそが造化活動の源泉なのです。
そもそも人間が神の創造活動に参加できるのは自我意識と自由意志があるからです。意識があるから神の創造計画の一翼を担えるのです。
一方類魂としての意識しかない動物は、神の創造活動への参加はできません。しかし造化活動と顕現の自由はあります。
すなわち動物は意識の面で人間の前段階に位置し、あと少しで神の創造活動に参加できる段階にまで進化成長しているということです。
そうした意識ある動物を殺害することは、神の計画を遅らせることになります。それは神の創造活動への反逆であり、人類自身の進化をも遅らせることになります。
そしてそれが、“意識のあるものを殺害してはならない理由”だと思います。
PS. アラン・カルデックの「スピリチュアリズムの真髄・思想編」から“動物の意識”の箇所を要約します。
動物には自由意志の要素もあるが、それは身体的な欲求に限られており、人間の自由意志と比較することはできない。
動物の魂は人間よりずっと下等であり、その違いは人間の魂と神との差ほどの大きな違いがある。
2009年06月15日動物の魂は人間よりずっと下等であり、その違いは人間の魂と神との差ほどの大きな違いがある。
(心の道場出版/232ページ)