霊的真理を知ったことで様々な疑問が解消されたことを嬉しく思っていますが、今回はその中から2つお話いたします。
(その1)─“特別な人だけが神に仕えるのではない”ことが分かったこと─
子供がカトリック系の学校に通っていた関係で、カナダ出身のシスターや神父さん方としばしば会食しましたが、支払いの段になると決まって「私たちは神に仕える身ですから・・」と申されて一度たりともお支払いされませんでした。
たかが食事代ですが、神に仕える身であっても自分の食事代は自分で支払って当然だと思っていた私は、宗教に対して違和感と同時に疑問を持ちました。
ところが2024年の新紙幣発行に関連して、紙幣の肖像に決まった津田梅子氏が以前見た“宣教師の生活振り”が新聞に載っており、私の疑問は解けました。
「津田塾大を創設する梅子が米国から帰り、米人宣教師の学校で教えた時である。若き梅子は日本人生徒や教師の粗末な待遇と、宣教師のぜいたくな生活の落差に憤った」
記事から分かるように梅子氏は憤ったのです。宣教師でありながら露骨な差別待遇をし贅沢な生活をすることに・・・
その原因の一つは「自分たちは神に仕える身」という特権意識によると私は思います。しかし、それは「隣人を愛せよ」というイエスの教えとは程遠く、まさに地上宗教は百害あって一利なしであり、シルバーバーチが「宗教は全て取り壊さなくてはならない」と言う通りです。
一方、超宗教であるスピリチュアリズムは「神に仕えることは人類に仕えること、人類に仕えることは神に仕えること」と説いていますが、これが真の宗教であり宗教の基本だと私は思います。
なぜなら人類は全て神の子として神の前に平等であり、誰もが神に仕える身だからです。
つまり“神に仕える身”という特別な身分も特権階級もなく、人類の誰もが地上界にいても霊界へ戻ってからも永遠に神に仕えていく身なのです。それが神から分霊された人類の使命だと私は思います。
(その2)─“宗教を持たないのは動物と同じなのか?”という疑問が解けたこと─
全ての宗教教義に納得できなかった私は無宗教できましたが、「宗教を持たないのは動物と同じ」と神父さんから言われたことがあります。
私にすれば(a)神父さんは間違いだらけの教義を本当に信じているのか、それとも(b)神父という地位を死守するために信じたふりをしているのか、と疑問でしたが、お聞きすることを躊躇っているうちに神父さんは50代という若さで母国・カナダで神に召されました。
しかし今となっては(a)(b)のどちらでもいいです。
なぜなら、そうしたプロセスを経たからこそ、理性で納得できる唯一絶対の宗教・霊的真理に出会い、直感で本物だと確信できたからです。
人間が宗教を持つのは神から神性(分霊)を授かったからであり、神性を授かっていない動物が宗教を持てるはずがないことも霊的真理から理解できました。
こうした宗教に関する様々な疑問を抱かせてくれた神父さんは今、霊界でカトリックの教えの間違いに気づきスピリチュアリズムに携わっておられることと確信しています。
2019年06月19日