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【第123回】 「シルバーバーチの霊訓」はなぜ凄い - 11

今回は、“地上人生には余生がない”ことを知った凄さを取り上げます。

それは“永遠に生きることを知った”ことと同じことですが、地上人生の最期の日まで霊的成長への努力を続けることが重要という意味で、あえて取り上げます。

世間では「定年退職後は、余生を楽しみたい!!」とよく言われますが、それを摂理に照らしてみると間違いであることが分かります。

なぜなら永遠を生きる私達には余生などないからです。
自分を肉体だと思うから余生があるのであり、霊的存在だと分かればそうした発想にはならないのです。

それどころか老齢期(余生)は、次の世界・霊界へ向けての大切な時期だと思うようになります。

もちろん誕生から死まで全ての期間が大切なのは言うまでもありません。
全ての時期に体験すべき事柄があり、一つ一つの体験を通して私達は次の世界への準備をしていくのです。

日常生活の生き方の一つ一つが、体験の一つ一つが死後の生活を決定するのです。

となれば、辞書に書かれている“余生とは一生の残りの部分”などあるはずがありません。

どんなに年を取ろうと、足腰が立たなくなかろうと、寝たきりになろうと、大切な一生の一部分であることに変わりはなく、地上生活最期の日まで努力し続けなければならないのです。

つまり肉体の老化と霊の成長は無関係ということです。肉体はあくまで霊の道具であり、本質の霊は、肉体の老化とは関係なく成長していくのです。

そしてこれこそが、肉体に宿る地上人の大きな希望になります!!

なぜなら肉体の老化は、えてして人々に希望を失わせるからです。

つまり霊が永遠に成長するのも摂理なら、加齢と共に肉体が老化するのも摂理だと理解することが必要ということです。

それによって誰もが地上人生最期の日まで希望を持って生きられたなら、どんなに素晴らしいことでしょう!!

ところで今日本は急速な高齢化に向かっていますが、霊的存在として生き生きと暮らす高齢者が、街角や老人福祉施設にあふれるようになったなら、日本はどれほど霊的に活気づき、世界初の霊的国家になるかもしれません。

想像するだけで楽しくなりますが、そのために必要なのは真理の普及です。

“死んで全てが終わる”なら馬鹿馬鹿しくて努力する気にもなりませんが、永遠に生きると分かれば努力のし甲斐があるからです。

つまり“余生を楽しむ”という発想は、霊的無知による肉主霊従から来ているということです。霊主肉従ならそうはならないのです。

こう私に理解させた「シルバーバーチの霊訓」は、やはり凄い!です。

2013年05月15日