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【第17回】 霊的恩恵のひとつ、霊的視野について

かねてより私は「人生を真面目に生きた結果、その先にあるものが老いと死ではあんまりだ」と思い、人生に虚しさや切なさを感じていました。しかしそれらは霊的真理に出合ったことで解消されました。
さらに地上人生には老若男女を問わず万人共通の目的があることを知りました。どんな職業に就いていようと、どんな環境にあろうと地上人生の目的は霊的成長にあります。

そうした重大な目的があることを知った私たちスピリチュアリストは、それを人々に伝える一方、自らの人生をその目的に沿ったものにしていかなければなりませんが、そのために真理の深い理解と実践は不可欠です。それに向けて一層努力していきたいと思います。

ニューズレター17号では、地上における最高次元の霊的宝は霊的真理を手にしたことと、それによる霊的恩恵を受けたことにあると述べています。それは次の3つです。
  • 新しい霊的知識を手にしたこと

  • 新しい霊的視野を得たこと

  • 霊的成長のための実践的知識を手にしたこと

これらはどれも霊的成長に欠かせない重要事項ですが、中でも霊的視野を持つことは人生を霊的観点から正しく判断する上に欠かせない大切な要素です。今回はこうした霊的視野に関して学んだことを述べていきます。

私には人生に対して不可解なことが数多くありました。その一つは生老病死にまつわることでした。
生・老・病・死のどれ一つとっても一方的に受け入れなければならない理由が、どこにあるのかが全く理解できませんでしたが、それらは霊的知識を得たことで解消しました。

しかし一向になくならない地上の惨状は、どう考えたところで私の理解が及ぶ範囲を超えており、常に心の痛みとなっていました。どうすることもできないもどかしさに、本気でうんざりしていました。

人類の誰もが仲良く平和に暮らしたいと願いながら、その願いをぶち壊すのもまた人類である、という矛盾にどう向き合えばよいのかさっぱり分かりませんでした。どうして仲良くできないのかと悲しく思いました。

「仲良くしませんか。静かで平和な暮らしをしませんか」とスピーカーで世界中を言って回りたいほどでした。しかしそうした矛盾に思えることも、霊的知識に裏づけされた正しい霊的視野を持って見れば、矛盾ではなく当然の結果であることがようやく分かりました。やっと様々なことが霊的視野で見られるようになりました。

ニューズレターでは、スピリチュアリズムの目的の一つは、地上人類に霊的視野を持たせることにあると述べています。また地上人がそれを持つには大変な努力がいるとも言っています。

霊界の人々の視野は霊的視野しかありません。地上人とて霊的存在ですから、もともとは霊的視野を持っていたはずです。それが肉体を持ったことで失われ、代わって本能的・物的な視野で全てを見るようになってしまったのです。
それは正常な視力があるのに度が合わないメガネを掛けて、わざわざ見えにくくしているようなものです。物事が歪んで見えて当然です。

真実を歪みなしに正しく見るには、霊的視野を取り戻す以外方法はありません。ひとたび霊的視野を持って見るようになると物事の見方・考え方が一変することに驚きます。表面だけを見てあれこれ判断しなくなります。
物の見方・考え方が今までと正反対になるので、霊的視野は「魔法の視野」であるとも言えます。

では、なぜ地上人は霊的視野を持つことが難しいのでしょうか。その理由の一つに永遠を視野に入れて物事を見る習慣がついていないことが挙げられます。

永遠を視野に入れて見るようになると、人生に起こる出来事には善いも悪いもなく、成るべきして成った、と素直に受け入れられるようになります。さらに人生の連続性を理解し、全ての出来事は永遠の中の一コマであると気付くようになります。
人生とは言ってみれば終りのない霊的人生絵巻を書き綴っているようなものですから、日々の出来事は絵巻の中の「ほんのひと筆」「たった一色」に過ぎないと悟るようになります。そうなればしめたもの。霊的視野を取り戻しつつある証拠です。

では次に最も身近な家族愛を霊的視野で見てみます。

一般に家族愛は、微笑ましい善いものとして受け入れられていますが、霊的視野を持って見ると非常に利己的で閉鎖的・防衛的な感情であることが分かります。
そうした感情を持つ原因は、家族が肉体の絆によって結ばれているからです。肉体が持つ防衛本能は家族を守ろうとする余り、利己的で閉鎖的な感情を生み出します。そうした感情が絡み合っているのが家族愛と呼ばれるものの実体のように思います。

そこには、真実の愛にある清々しさもおおらかさも気高さもありません。シルバーバーチが言っているように家族愛は間違ってはいないかもしれませんが、真実の愛とは異質のもののように思います。
そこで私は自分の家族愛を霊的視野で見直してみたところ、それはひどいものでした。愛と呼べるものではありませんでした。利己的で閉鎖的・防衛的である上に、さらに独りよがりな思いを持っていました。

家族は一人ひとり守護霊によって導かれているにも拘らず、それを無視して家族のことは全て自分が責任を持って守っていく、という思い上がった考えをずっと持ち続けていたのです。それが愛であると思い込んでいました。
こうした間違った思いは、宗教ドグマにも似て手枷足枷となり、真実の愛から私を遠ざけていましたが、見直すきっかけがない限り自分の過ちに気付くことは容易なことではありません。

真実の愛の軽やかさに対して、独りよがりな愛のなんと重いことでしょう。今改めてその軽さを味わっています。家族間の風通しがとてもよくなりました。
家族を正しく愛するには、一人ひとりを霊的視野で見ることだと思います。そうすれば家族を霊的巡礼の大切な仲間として見れるようになります。

霊的視野を持てたことで、私を今までにない大きな自由と大きな意識を持てたように思います。これからも真理をしっかりと学び霊的視力を上げていきたいと思います。

2005年04月07日