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【第14回】 摂理の背後にある神の愛を知る

霊的真理は、書籍をはじめ、ニューズレターやビデオ、さらにはテープやCDと様々な方法で学ぶ事ができます。真理を探究するには、文句の付けようがないほど恵まれた環境といえます。あとは私達スピリチュアリストがどれだけ真剣に真理に向かいあい実践するかです。

スピリチュアリズムは、真理を正しく理解する事から始まりますが、同時に摂理の背後にある神の愛に気付く事もとても大切な事です。霊界の人々と違い肉体を持つ私達は、神の愛をストレートに感じられませんが、摂理の中から感じ取る事はできます。摂理は全て神の愛によるものであり、人類を愛すればこその摂理です。

人は神の絶対的な愛に触れた時、初めて神と神の摂理に対する完璧な信仰心を持つようになります。そして自らを摂理に合わせ始めます。つまり霊的人生を歩み出すには、神の絶対的な愛に触れる事が不可欠ということですが、幸いにもニューズレターとビデオによって、それを体験する事ができました。それにより神の子として生まれた幸せを初めて味わいました。今回はそれについて述べていきます。
  • ニューズレター28号では「人間の霊的成長を支配する神の摂理(法則)」と題して9つの摂理を採り上げています。そこから、摂理の内容と働きを次のように理解しました。

    神性を賦与された人類は、神の意思により 1:永遠に成長をしていく霊的存在として地球に誕生しました。その時人類には、他の地球生命体にはない 2:自由意志が与えられたのです。ある範囲内での自由とはいえ、神は人間をロボットにせず、理性によって自らの進むべき道を選択する存在にしました。

    3:霊主肉従で 4:利他的行為(利他愛)に励むもよし、肉主霊従で利己的な行為に励むもよし、どんな人生を選択するかは個人の自由意志に任せらています。しかしそこには当然選択による結果が生じます。
    摂理に適った選択をすれば霊的成長という良い結果を手にする事ができますが、摂理に背いた行為にはそれ相当の苦しみの結果を受けなければなりません。

    それが 5:原因結果の法則(カルマの法則)です。悪い行為の結果に対して私達は、 6:自ら責任を取らされます。他人が変わる事もできなければ、軽減する事もできません。

    シルバーバーチは「宇宙の全てが原因と結果から成り立っている中で、もしも因果関係がキャンセルできるとしたら、神の公正が崩れる」と言っています。また「法則の働きは完璧であり、原因に対して数学的正確さをもって結果が生じ、その因果関係を髪の毛一本ほども変えることは出来ない」とも述べています。
    自分の行為の結果は寸分の狂いもなく自分に返ってくる事になり、それこそ自業自得です。

    摂理に背いた結果は、 7:苦しみという形で償う事になります。摂理に背いた事をしでかした罪は、苦しみの体験(罰)によって償われ、再び霊的成長の道を歩み出す事ができます。それも今生に限った事ではありません。かつての地上人生の罪も償う事があります。罪に時効はなく自分の罪は最後まで自分で償うという公正にして公平な神の愛をここにも見る事ができます。

    こうした宇宙最大の愛に守られて地上人生を送っていると気付いた時、人生に対する全ての不安と迷いが消えました。これ以上の安心はないと思います。またこれこそが絶対信仰なのだと思います。スピリチュアリズムを道徳レベルから、絶対的な信仰レベル・完璧な信仰レベルへとやっと引き上げる事ができたように思います。

    さらに神は、子らの一層の成長を願って 8:自己を犠牲にすればするほど、また 9:多くの苦難を克服すればするほど霊的に成長できるという取り決めをされました。

    霊主肉従と利他愛の実践は、地上人にとってそう容易いものではありません。特に利他愛の実践には自己犠牲を伴うものですが、その犠牲が大きければ大きいほど霊的に大きく成長でき、また多くの困難や大きな障害を乗り越えれば乗り越えるほど霊的成長は早まります。

    神は自己犠牲に対しては代価をきちんと支払い、正しい目的の為の困難・苦難に対しては、ご褒美をくださいます。

    「人類は自ら目覚め、真の自我を見い出していかねばならないという宿命的法則がある」とシルバーバーチが言っているように、人類は自らの努力によって、自ら成長するように定められています。頑張りたいと思います。


  • さらに神の愛を強烈に実感したのは「霊的真理のエッセンス・真理編」前編のビデオを繰り返し見ていた時の事です。ビデオにより深い真理の世界に誘われ、いつしか心は幽界に飛んでいました。そこで感じたのは、神の深い恩情です。以下はそれについてです。

    地上人生には、思いに任せない事が沢山あります。人々は、そうした思いを抱いたまま旅立っていきます。つまり欲求不満のまま肉体を離れていく訳ですが、こうした状態は、やがて赴く霊界での成長の妨げとなります。

    そこで神は地上で満たされなかった思いを満たす、いわば欲求不満解消の場として幽界を設けたのです。心ゆくまで欲望を満たした霊は、やがて地上的なものに飽き足らなくなり、自ら霊的な成長を希求するようになります。幽界は地上の物質臭を拭い去り、霊界へ移行するワンクッションの場でもあり、神の心憎いほどの配慮を感じました。

    こうした幽界を心ゆくまでエンジョイするのも悪くはないでしょうが、地上にいる間に地上的なものを捨て去る事が出来れば、幽界での滞在期間を短縮できるのではないか思います。

    現実には無理であっても、気持ちの上では幽界を飛び級したい勢いです。それには地上人生を価値あるものにしなくてはなりません。

    シルバーバーチの言葉に従い、毎朝を霊的成長の好機として勇んで迎え、さらに一日の終りには、朝より成長した自分に出会うんだという強い信念を持たねばなりません。
    こうした日々の地道な努力により精神が鍛えられ、地上的な欲望に歯止めが掛かり、霊的成長を最優先するようになると思います。

    地上的な思いは幽界に持ち込まないという目標を持って、しっかりとした地上人生を歩んでいきたいと思います。


2005年02月17日