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【第69回】 ニューズレター43号から、“霊優位”について学ぶ

ニューズレター43号「正しい霊的人生は、霊優位の実践から始まります」から、心に強く残ったのは、人間は霊優位の状態にならない限り霊的成長できないこと、霊優位にも正しい霊優位と間違った霊優位があることです。

霊優位を確立するためにスピリチュアリズムが最も勧めているのは、真理の学習と祈りですが、昔から行われてきた肉体行や宗教の戒律も霊優位を確立するためのものである、とニューズレターには書かれています。
しかし私は、同じ霊優位を確立するにも、前者と後者には大きな違いを感じます。
それは、前者は霊的意識を引き上げることで、霊を優位にしようという積極的・直接的方法であるのに対し、後者は肉体の力や本能的欲望を抑えることで霊を優位に立たしめる消極的・間接的方法であることです。

肉体を極限まで酷使する荒行をするでもなく、また本能の放縦を一方的に阻止するでもなく、霊にとって最も必要な霊的真理を学ぶことで、霊優位を確立しようという“スピリチュアリズムの方法”は、霊的存在である人間に最も相応しい方法であり、ベストの方法と言えます。
すなわち、私達スピリチュアリストは、先人達でさえ手にすることが出来なかった“霊優位のための最高の方法”を手にしているということです。

もし、親鸞やパウロが霊的真理を手にしていたなら、もっと楽に霊優位を確立できたかもしれませんが、しかし霊的真理を手にした者にとっても、霊優位の確立はそう簡単ではありません。
そこで私達スピリチュアリストが為すべきことは、真理の学習と祈りを1日たりとも怠らず、生涯続けることだと思います。それが霊優位の確立には絶対に必要だと思います。

また、≪正しい霊優位と間違った霊優位≫の内容には心から納得しました。なぜなら私の体験と一致したからです。
肉主霊従のときは、物質的・本能的欲望を満たすことに精一杯で、“肉体そのもの”を大切にする気持ちは、今ほど強くありませんでした。
それが、曲がりなりにも霊優位を確立できるようになり、肉体を霊の道具として、また地上生活の必需品として大切に思うようになりました。

霊優位・霊主肉従という言葉からは、霊魂にだけ価値があり、肉体にはさほど価値がないイメージがありますが、正しい霊優位は肉体へ感謝の気持ちが湧くことを、私は体験から実感しています。
すなわち、霊優位が確立されない限り、肉体を本当の意味で大切にすることはできないということです。
また、長生きしたいがために肉体を大切にするのと、霊的な意味から肉体を大切にするのとでも大きな違いがあります。

真理の学習と祈りを1日たりとも怠らず、霊優位の状態を保つ努力をしていきたいと思います。

2008年11月15日