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【第107回】 スピリチュアリストの初詣と2つの責任
明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします!!
今年も全国の寺社は初詣客で賑わいをみせましたが、スピリチュアリストにとっての初詣?とは、どんなものを言うのでしょう……
もちろんそれは“新年初の神への祈り”ですが、祈りの内容は神へ新年のご挨拶を申し上げると同時に、今年1年を人類救済に捧げる決意を神に誓うことだと私は思います。
どこで祈るかとなれば、“普段祈る自宅の場所”を聖別して行います。祈る前に真理を深く読んで自らの意識を高めることで聖別します。
それから神へ向けて祈りを捧げますが、その祈りは通常の祈りでは味わえない深く力強いものになります。
なぜなら新年を迎えて心が改まっていることに加え、政治経済などの物的活動の休止により霊的意識が高まりやすい状態にあるからです。
新年は1年の中で最も物的波動が静まり霊的意識が高まりやすい状態にあり、それがあの新年特有の穏やかな雰囲気になるのです。
こうした状況が長く続くと良いのですが、現実はそうではありません。
新年の穏やかさ(霊>物)はまたたく間に終わり、街には物的賑わいがすぐに戻ってきます。人々は物を求めてせわしく動き出します。
こうして人々は毎日、毎年、そして一生を物に翻弄されあわただしく終えていきます。
これは霊的存在の人間にとって大きな損失、大きな悲劇です!!
これ以上の損失、悲劇はないと言ってよいほどですが、こうした物中心の生き方が地上界の悲劇の原因であり、それが危機的状況をつくり出しているのです。それはまさしく悲劇の連鎖です。ダブル悲劇、トリプル悲劇です。
この悲劇の連鎖を食い止めるには、真理を普及するしかないのです!!
真理普及は悲劇の連鎖を食い止める最後の、そして唯一の切り札なのです。
その中心を担うのは私達スピリチュアリストです。
スピリチュアリストが霊界の導きの下で“2つの責任”を果たすこと。それが地上界を救うのです。
その1つは“自らの生き方を摂理に沿わせる責任”、もう1つは“同胞に真理を普及する責任”ですが、それは「人類救済は人任せにしない!!」という確固たる決意があって果たせます。
真理を知ったら「誰かがやるだろう!」という無責任な傍観は許されないのです。
自らを救い同時に同胞を救う、それがスピリチュアリストの責務です。それが崩壊寸前の地上界を救うのです。
「自分がやらなくて誰がやる!」という気概を持って今年1年共に力を合わせて頑張りましょう!!
私は自分にできる最大最高のことを毎日真剣にやっていれば、あとのことは霊界がしてくれると信じて、この1年を楽天的に頑張りたいと思います。
2012年01月15日