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【第60回】 「質素な生活」 は、霊的人生に不可欠な要素
日本では格差社会が大きな問題になっています。それは世界的な現象であり、「格差」=「貧富の差」は広がるばかりですが、摂理から言えば富(大霊の恩寵)は、皆で公平に分けなければなりません。そこで私達スピリチュアリストが為すべきことは、富の公平分配に向けて真理普及をしていくことですが、同時に自らの生活を「質素にする」=「欲望を抑制する」ことだと思います。
今回はそれについて少しお話しさせていただきます。
“清らかな霊的人生”はスピリチュアリストの憧れですが、それには霊主肉従と利他愛の実践、それプラス“欲望の抑制”が不可欠です。
それについて、ニューズレター10号では次の3つを挙げています。
- 質素な生活……衣食住については、生活できればそれでよしとする
- 貞節な生活……性欲をコントロールし、清らかな生活を心がける
- 名誉欲・支配欲の抑制……人の上に立とうとか偉くなろうとするのではなく、人の役に立とうとする
現代人には難しいことばかりですが、欲望を剥き出しにすることを憚りもせず、恥ずかしいとも思わない現代人は、禁欲の必要性など全く考えもしないと思います。それどころか、物的に豊かになることは素晴らしいことであり、お金を儲けることが一つのステータスになっています。
「お金を儲けて何が悪い」 とテレビカメラの前で公然と言い放った人がいますが、それが現代人の本音だと思います。
そしてお金がある人は、当然のように豪奢な家を建て贅沢三昧の生活をしますが、それを悪いとは思いません。自分で稼いだお金で贅沢をしているわけですし、しかも霊的真理を知らないのですから罪悪感など持つはずがありません。
また、お金がない人でも、そうした生活に憧れ、何とかしてお金を稼ぎ贅沢な暮らしをしたいと思っていますが、そのどちらも、霊的には乏しい人生(肉主霊従の人生) であることに変わりはありません。
贅沢な暮らしに霊的価値がないこと、真の幸せは霊的人生にしかないことを知らなければ、それも無理からぬことだと思います。
「必要以上の物を求めること」=「贅沢」がいかに摂理に反しているかは、アラン・カルデック著─「霊との対話・天国と地獄 I 」(幸福の科学出版)の中の“女王ドゥード”の通信から窺い知れます。
彼女は、地上では、贅沢三昧という言葉がぴったりの生活をしていました。まさに地上天国とも言える暮らし振りでした。それが死後に地獄の苦しみとなって自分に返ってくるとは思いもしなかったと思います。
地上で“物質的天国”を味わった者は、必ず霊界で“霊的地獄”を味わいます。それは、因果律によるものであり、地上界・霊界の区別なく働きます。地上を去れば(死ねば)ご破算になるというものではありません。また、身分が高いとか低い、お金があるとかないに関係なく、誰にでも公平に働きます。
よって、「大霊の恩寵は皆で公平に分ける」という基本的摂理と、シルバーバーチの次の言葉を心に深く留めて、スピリチュアリストらしく質素な生活を心がけたいと思います。
進化せる霊は、ぜいたくへの願望は持ち合わせないものです。
最後に ニューズレター10号より抜粋します。(シルバーバーチの霊訓9/90ページ)
お金を儲けることが悪いとか、金持になってはいけないと言っているのではありません。お金があっても質素な生活をしなさいということです。
(中略)
余分なお金が手に入るのは、それを人助けのために使いなさい、持たない者に分け与えなさいということです。
2008年02月15日(中略)
余分なお金が手に入るのは、それを人助けのために使いなさい、持たない者に分け与えなさいということです。