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【第61回】 「神は摂理を通して現れる」&「摂理は絶対である」

今回は、2月の読書会で学んだ「スピリチュアリズムによる霊性進化の道しるべ」7章からお話させていただきます。
始めにその箇所を引用します。
ああ、大霊よ。聖なる創造主、王の中の王、全生命の背後の無限なる知性にあらせられるあなたを、わたしたちは在るがままのお姿、すなわち完全なる摂理として説き明かさんとしております。
あなたは幾世紀にもわたって誤解され、誤って崇拝されてまいりました。
(中略)
わたしたちはあなたを完全なる愛と叡知の権化として啓示いたします。(1)それが完全なる摂理の働きを通して顕現しているのです。(2)その摂理の中に、子等が生命の充実感と豊かさと限りない恩寵を見出すようにとの、あなたの深遠なる配慮がなされているのでございます。
ここから2つのことを学びました。

(1)からは、「神は摂理を通して姿を現すのであり、直接姿を現すことはない」ことを学びました。それは、「神と直接交渉(直談判)できない」、「自分本位の願いは聞いてもらえない」ということです。
また、神は人類を摂理を通して公平に扱うということであり、奇跡が起きたかに思えることも、摂理の働きによってそうなったに過ぎないということです。

ですから、私達が真っ先にしなければならないことは、“摂理に適う生き方”であり、それは“祈り”より先にしなければならないことだと思います。
それに摂理に適う生き方は、自分の心の中の“神に出会うこと”でもあるので、なんとしても摂理に適う生き方をしていきたいと思います。

(2)からは、「摂理に適う生き方をすれば、生き生きと有意義な地上人生が送れる」ことを学びました。
それは、物質主義と利己主義のはびこる今の地上界にあっても、摂理に適う生き方をしさえすれば、地上的なことに惑わされずに生き生きと生きられるということです。

ですから、霊的真理を手にした私達スピリチュアリストは、真理を知った者らしく凛とした地上人生を歩まなければならないと思います。
多くの人が目標や希望を見失いがちな今の地上界にあって、私達はその見本となり、霊的活力に満ちた生き生きとした人生を歩まなければならないのです。それもまた、スピリチュアリストの務めの1つと私は思います。

2008年03月15日