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【第89回】 「思想2」から思うこと - 2

今回は「思想2」から学んだ“神を認識する力”と“神を実感する力”についてお話したいと思います。まずは必要箇所を抜粋します。
従来の神認識論の中にも、なるほどと納得がいくような優れたものもありました。では、それらによって本当に神を受け入れ、信仰にまで心を高めることができるようになったのでしょうか。先に紹介したような神認識のアプローチ(宇宙論的証明と目的論的証明)を通して、無神論者が信仰を持つことができるようになったのでしょうか。

結論を言えば、大半の人間がそのようにはなっていません。それは理性・知性による理解(認識)だけでは、本当の神認識には至れないからです。
(1-5)
正にこの通りだと納得します。

なぜなら真理に出合う前から私は、宇宙の創世と宇宙の驚異的な規則性には“ナニモノかの関与”があるはずだと信じて疑わなかったにもかかわらず、私が神を実感することはなかったからです。神の実感は理屈を越えたところにあるのです。

それでも私は、生きた神を、理論的神ではなく生きた神を実感したい!と強く思いました。

人間の精神や意識が1秒たりとも休まず働いているように、全宇宙を維持運行せしめている大精神・大意識もまた、1秒たりとも休むことなく働いているに違いないのです。
人間が愛を発するように、大精神・大意識も無限の愛を発し続けているに違いないのです。

躍動感溢れる神を…、無限の愛を発し続ける神を…、私と共に歩み、私を愛し、時に叱ってくれる神を…、その息吹、その温もり、その息遣いをこの心と体で感じたい!

私はそう熱望し続けました。

そうしたら何といつの間にか、神が実感できるようになったのです。
生きた神の実感は人間を幸せにし絶対安心の境地へ至らせます。生活も一変させます。

儀礼的・義務的だった祈りは、生きた神との語らいとなり、その余りの心地よさ・気持ちよさから一日に何度も祈りを捧げるようになりました。

また自分の心の中の神に、絶えず問いかけるようになりました。
それは神の願いを正しく聞いて、自分の成長の糧にしたい、自分の人生を神の願いに適うものにしたい一心からです。少しでも神の望む自分でありたいのです。

神の実感はこれほど人を変え人生を変えるのです。
すなわち神の実感は、その人の人生と生活を根底から変えるということです。
実感のともなった「真実の神認識」は、その人間の意識に大きな変革をもたらし、人生の中心にしっかりと神を置くように仕向けるのです。
(1-5)
この箇所も心から納得します。
なぜなら神が実感できるようになって私は、自分の“愛の質”が大きく変わったことを感じるからです。

利己愛から利他愛へ、家族愛から霊的同胞愛へと私の愛の質が変わったのは神を実感してからです。

つまり意識変革とは、利己愛を抜け出て利他愛を確立させることであり、家族意識(家族愛)を取り払い、霊的同胞意識(霊的同胞愛)を確立させることだと私は思います。

それは全人類が神を実感したら地球は変わるということです。

実感の伴った神認識は「思想2」─1章-4─に書かれていますように、霊的次元においてのみ可能なのです。
そのためには何としても真理の普及が不可欠です。精一杯普及して参ります!!
(次回に続きます)

2010年07月15日