

コロナ禍、それに伴う不況、豪雨災害、米中の覇権争いなどと不安の尽きない世にあっても、“永遠の実在”に実感と確信が持てたなら、恐れも不安も持たずに生きられることはスピリチュアリストなら誰でも知っています。
しかし“永遠の実在”を実感・確信するのは容易ではありません。なぜなら毎日の気ぜわしい生活の中では、その日その日を生きるのが精いっぱいで永遠の実在に思いを馳せることは難しいからです。
それでも私は、「何としても永遠の実在を実感・確信したい〜」と思い、まずは人間の本質は霊であると自分に刷り込ませながら、その霊的事実を日常生活に溶け込ませるべく努めました。
それは霊主で生きたなら発露する愛は自ずと“利他愛”になるからです。
こうして霊主・利他愛で生きるにつれ、視野がモノ中心から霊中心へと変わり、それに伴い意識の中心が永遠の実在へ向かうようになりました。
ただこうなるには、ある程度の時間が必要であり、私の場合は真理と出会ってから十数年が必要でした。
それは「永遠の中にこそ実在がある」と知識(頭)で理解するのと、それを事実として腑に落とすのとでは大きな違いがあるからですが、腑に落とすには“日々の真理の実践”が何としても必要です!!
しかしその甲斐あって私は、“恐れと不安からの解放”という途轍もなく大きな霊的恩恵を手にすることができました。
さらに地上人生は永遠の実在の中の瞬き一つの間であると俯瞰できるようになり、その間に遭遇する出来事の全ては“恐るに足らず”と悟れたのです。
それはまた「神の摂理に守られている」という絶対安心になり、“生死”を始めとする人生の全てに完璧な摂理が働いている以上、何事も良きに計らわれるという得心に至りました。
ここに至って私は“地上人生は永遠の実在に向けてのスタート発点であり、短くも掛け替えのない期間なのだ!”と心から思えてこれまで以上に精いっぱい生きるようになりました。
それは日々の瞑想や祈りにも変化をもたらしました。
義務的になりがちな瞑想や祈りが、神と高い界層の霊との交わりを求めるものへと変わり、その時間がとても楽しみになりました。
こうして高いバイブレーションと毎朝ふれ合うことで、永遠の実在への実感と確信はさらに強まり、それによって万能力のある神発の霊力を僅かながら取り入れられるようになりました。
地上界が摂理に適う世界に変わるには霊力の流入が不可欠ですが、そのためには一人一人が永遠の実在を実感・確信し霊力流入の受け皿になることが必要だと改めて強く思います。
2020年9月15日