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【第12回】 スピリチュアリズムの宗教観と信仰について

私は、スピリチュアリズムを宗教である・信仰対象であるという事にずっと違和感を感じていました。
しかし、霊訓には「スピリチュアリズムは、宗教であり信仰である」と明確に書かれています。またニューズレターでは、スピリチュアリズムの基本原則として「真理の正しい理解」「意識の信仰化」「純粋な実践」の三つを挙げています。ここにも「信仰」という言葉が出てきます。

霊訓を手にした時から私は、訓えの全てに絶対的な信頼を持ち、霊訓を人生の指針としてきました。
また霊訓に導かれた事を、最高に幸せな事だと思ってきました。それでもスピリチュアリズムを宗教や信仰対象と考えるのは嫌でした。そこでなぜ嫌なのかを考えてみました。

霊訓に出会う前の私は、「宗教・信仰」という言葉に良いイメージを持っていなかったので、信仰とは程遠い生活を送っていました。というよりも無意識にそれらを遠ざけていたのです。

宗教も信仰も持たない私は、自分の理性で物事の善し悪しを判断してきました。神を求めていながらも、当時の私にとって神は「本当にいてくれたらいいのに」と憧れる程度のものであり、雲を掴むような存在でしたから、とても信仰する対象にはなりませんでした。

やがて、シルバーバーチの霊訓に出合い、霊訓を学べば学ぶほど、神と神の摂理に絶対の信頼を置くようになりました。また、物事の善悪を摂理によって判断するようになりました。しかしそれでも、スピリチュアリズムを宗教と認め絶対信仰の対象とする事には違和感を感じ、釈然としないものがありました。

ところがシルバーバーチは、宗教とは人の役に立つ事だと言っています。宗教をそう解釈するのであれば、「スピリチュアリズムは宗教である」と言われても納得できます。

信仰については、ニューズレターには「スピリチュアリズムが絶対的な信仰・完璧な信仰であると認めることを嫌っている人は、もう一度霊訓をじっくりと読み返すべきでしょう」と書かれています。ここまで書いているのは、スピリチュアリズムを信仰対象とする事が、スピリチュアリストとしても、また霊的成長をしていく上でも、重要なのだと思います。そこで信仰の本当の意味を知り、神と摂理に対する絶対信仰を持てるようになりたいと思いました。

そこで分かったのが、私が今まで嫌っていた信仰とは、狂信・盲信の類であり、シルバーバーチが言う信仰とは全く違っていた事です。それを分からせてくれたのは、ニューズレター11号の「地上の他の宗教に見られる狂信・盲信の類から、最も遠いところにあるのがスピリチュアリズムなのです」という一文です。

こうして、宗教と信仰の意味を正しく理解する事ができたのですが、スピリチュアリズムを人生の指針として信頼するのと、信仰にまで意識を高めるのと、どんな違いがあるのかが分かりませんでした。信頼と信仰という単なる言葉上の違い以外に違いがあるというのでしょうか。

私は霊訓の訓えに絶対の信頼を置いていますが、信仰しているかと問われれば、途端に返事に窮します。どうしても信仰という言葉に戸惑いを感じてしまうのです。
シルバーバーチは「絶対的な摂理への信頼」と言ったり「絶対的な摂理への信仰」と言ったりしていますので、シルバーバーチの中では違いはないのでしょうが、私の中では違っていました。

ニューズレターでは「完璧な信仰とは何か」と題した中で、「スピリチュアリズムを単なる道徳レベルから、生命をかけて信じ抜く絶対的な信仰レベル・完璧な信仰レベルへと引き上げるべきものなのです」と明言しています。
これによるとスピリチュアリズムを信仰レベルにまで引き上げなければ、いくら霊訓を手にしても単なる道徳レベルで終わってしまう事になります。

そして思ったのは、こうした違いは大きな困難に直面した時に出てくるということでした。大きな困難に直面しても泰然自若でいるには、道徳レベルでは無理なのです。踏ん張る事ができないのです。乗り越えられないのです。その差なのです。

どんな困難にも真理を柱に立ち向かう力は、信仰心あって初めて出てくるものだと思います。どんな窮地においても、スピリチュアリズムの訓えを守り抜く強い信念は、道徳レベルでは無理であり、「意識の信仰化」が必要なのです。
まさにシルバーバーチの言葉通りなのです。
背負った重荷も、知識から生まれた信仰があれば、軽く感じられ、重さが消えてしまうものです。
(シルバーバーチの霊訓9/91ページ)
ニューズレターでは「地上の全てのものを捨てても、地上の全ての人々が反対しても、絶対にスピリチュアリズムだけは正しいとの信念を持つべきなのです。これがシルバーバーチに倣って、私達が身に付けるべき絶対的な信仰なのです」とあります。

さらに「完璧な信仰とは、霊的真理(霊的事実)に対する絶対信頼であり、それはまさに真理に対する一途で揺るぎない確信のことなのです」と言っています。信頼するだけでは、ここまで高い意識を持つ事はできません。信頼に確信が加わった時に初めて信仰心が生まれるのだと思います。

最後は愛溢れるシルバーバーチの言葉で終わります。
私達の努力目標は人類が幻を追い求め影を崇めることのないように、霊的真理の実在を得心させる事によって人生観を誤った信仰でなく確実な知識の上に確立し、大自然の法則に基づいた本当の宗教心を持ち、たとえ逆境の嵐が吹き荒れ、環境が酷しく、いずこに向かうべきかが分からなくなった時でも、「事実」に裏打ちされた信仰心によってあらゆる試練、あらゆる苦難に耐えていけるようにしてあげることです。
(シルバーバーチの霊訓5/67ページ)

この一節に述べられているように、私は今までの間違った概念を一刻も早く捨て去り、シルバーバーチに倣い霊的事実に基ずく大霊への帰依と摂理への絶対信仰を確立したいと思いました。正しい宗教観正しい信仰心を持つ事はスピリチュアリストとして不可欠であると、やっと得心する事ができました。霊的摂理の熱烈な一信奉者として生まれ変わった思いです。
正しい祈りと正しい信仰を毎日の努力目標にしながら、より一層の信仰心を強めて一スピリチュアリストとして普及に邁進していきたいと思います。

2005年01月20日