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【第44回】 自覚することの大切さ

以下の文は”たとえば大人になったら欲深い人間になったであろうと思われる人間が早世した場合、そちらへ行っても同じように欲深な人間になっていくのでしょうか”という問いに対してシルバーバーチが答えたものです。
問題を正しい視野で捉えないといけません。こちらの世界で自覚が芽生えると、そのときからその人は向上の道を歩むことになります。自覚が芽生えるまでは地上で満たされなかった欲望の幻影の中で暮らしています。
いったん自覚すると、その自覚したという事実そのものが、それまでの自我の未熟な側面を満足させたいという欲望に訣別したことを意味します。
「正しい視野で捉えなさい」と言ったのはそういう意味です。
欲が深いということは、まだ自覚が芽生えていないということを意味し、自覚するまでは、その欲望が満たされると満足するわけです。
(シルバーバーチの霊訓3/21ページ)
今まで私は、死んで肉体がなくなれば、自動的に物質的欲望はなくなると思っていましたが、霊的存在としての「自覚」が芽生えなければ地上時代の欲望の幻影から抜け出すことはできないことを知りました。

ということは、自覚しない限り死後もずっと物的欲望の幻影の中にいる、ということであり、霊界にいってまで、地上時代の物的欲望の幻影に捉われ続けるなんて、とてもじゃないけど御免こうむりたいと思いました。

がそれを逆に言うなら、地上にいながらでも自覚次第では物的欲望の幻影から抜け出せるということです。
そもそも、霊的真理は物質界が幻影であることを教えるためのものであり、霊的真理を手にしていながら、いつまでも物的欲望に捉われていること自体が、霊的真理を活用していない証拠だと思います。

さらにシルバーバーチは、”欲が深いということは、霊的自覚に芽生えていないことを意味する”と言っていますが、それは、自分の体験に照らし納得できました。

というのは、私に「霊である」という自覚が芽生るに従い、少しずつ物的な物に対する欲望がなくなっているのを感じるからです。生きる上に必要な物以外は欲しいと思わなくなったのです。
慎ましく生きていければそれでいいのであって、着飾りたいとか、よい生活をしたいとか思わなくなりました。それに代わって、霊的な幸せ、霊的成長を強く求めるようになりました。

ですから、強い物欲(必要以上に物を欲しがる)は、霊的自覚が芽生えていない証であり、物欲の強さは、霊的自覚のバロメーターになると思いました。
※注釈  物欲がないからといって必ずしも霊的自覚が芽生えているとは言えないと思います。霊的自覚がなくても、道徳的に簡素な生活をすることもあるからです。

「自覚」という言葉は、このほかの箇所にも度々出てきますので、その箇所をいくつか拾ってみます。
もしも、私達の尽力によって人間を霊的本性を自覚させることに成功すれば、その人の人生は一変します。
(シルバーバーチの霊訓1/97ページ)
自覚が全てのカギです。
(シルバーバーチの霊訓3/19ページ)
それも自覚の程度によります。
(中略)
私達の世界は精神的な世界、霊の世界であり、そこでは自覚というものが最優先されるということです。
(シルバーバーチの霊訓4/129ページ)
向上進化は自分が自覚しない限り、側から促進して上げることはできません。
(シルバーバーチの霊訓5/126ページ)
また、「天国と地獄 I」の中にも出てきます。
ある主の霊達は闇の中に沈みますが、それは愚かな人間が閉じ込められることになる「魂の夜」としての闇なのです。魂が狂ったからそうなるのではなく、魂が自分自身を自覚しないため、すなわち暗愚であるために、そうなるのです。
(157ページ)
こうして見てくると、霊の進化には、霊自身の自覚がいかに必要不可欠なものであるかが分かります。それは、地上人が「霊主肉従で生きる」為にも、「霊的真理を受け入れる」為にも必要であり、「自覚が全てのカギ」というシルバーバーチの言葉に心から納得しました。

さらに守護霊からの援助を受けるにも、守護霊の存在を自覚する必要があるとシルバーバーチは言っています。
各自に守護霊がいることは事実ですが、では、その事実を本当に自覚している人が何人いるでしょうか。自覚が無ければ、無意識の心霊能力を持ち合わせていないかぎり、守護霊は働きかけることはできません。
(シルバーバーチの霊訓2/209ページ)
また、私達は日常生活でも自覚という言葉をよく使います。「社会人としての自覚を持ちなさい」「親としての自覚が足りない」といった具合です。しかし、私達地上人が一番自覚しなければならないのは、
  • 霊としての自覚

  • 神の子としての自覚

  • 全人類は霊的兄弟姉妹であるという自覚

  • 神を親とした霊的一大家族の一員としての自覚
です。これらの自覚を一人でも多くの地上人が、一日も早く持てるように真理普及に努めていきたいと改めて強く思いました。

2006年10月15日