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【第171回】大自然から湧く神への畏敬の念

人々は自然の美しさを求めて山や海へ出かけますが、自然はその期待を裏切ることなく美しい姿を誇らしげに披露して人々を魅了します。

私が旅を愛するのも自然美に魅せられてのことですが、国内外を問わず、その土地独特の風景・風情が日常から人々を解放し気分を一新させてくれます。
同時に、壮大かつ繊細な風景が、創造主である神への畏敬の念を湧かせますが、その一方では人間がいかに小さい存在かを気づかせます。

近年は映像技術の発達により自宅にいながら、世界中の美しい風景を観ることができます。
しかしながら、高地に咲く可憐な花やその香り、そよそよと吹く風の音(ね)、清涼な水や空気の香りなどは映像では感じにくいかもしれませんが、五感を研ぎ澄ませて見入ったならば十分感じることができます。

いえむしろ映像から感じようとすることで、全身の感覚が研ぎ澄まされ感性が鋭敏になり、感受性や想像力が豊かになります。

それにドローンからの映像では、人間が分け入ること難しい山岳地帯や大海原を映し出すことができるので、険しい山も大海原も鳥のように滑空することができます。

こうした自然美に人間が心を奪われ感動するのは、人間には神性が宿っているからです。地球上では唯一人間だけが大自然を美しいと感じることができるのです。

それは神が我が子である人間に、自らが創造した自然の美と豊かさを味わってほしいということだと私は思います。がしかし、その始まり(創成期)は凄まじいものでした。

46億年前の創成期の地球は地表がマグマの海で覆い尽くされ、蒸気、窒素、二酸化炭素などの原始大気とガスが充満していました。

その凄まじさは今に続く火山の噴火で想像がつきますが、そこから命あふれる水と緑の地球へと神は気の遠くなる歳月を掛けて進化させてきたのです。

歌にまで詠まれる幽玄な名月も、創成時に気化した岩石が地球を回る軌道上に放り出されて急速に集まったものだと言われます。

神の創造進化はまだまだ途上なので、それが地震や火山の噴火などの自然災害となって人々を悩ませますが、その全ての始まりは神という大精神です。

そう思うと、神のその無限性や創造性、可能性に畏敬の念がふつふつと湧き上がり、神の子として霊的成長していける幸せに包まれます。
と同時に、霊的同胞である全人類に精いっぱい奉仕することによって、神へご奉仕をしたいという思が胸いっぱいに広がります。

シルバーバーチの言葉です。

(大霊の全体像は)大自然の営みをよく観察すれば、ある程度の理解は得られるでしょう。
大自然が法則によっていかに精密に制御されているかを、よくご覧になることです。
(中略)
歴史と進化の過程をみれば、地上界がゆっくりとした速度ではあっても、常に前へ、そして上へと進んでおり、その背後で働いている力が(人間的な善悪の観念でいえば)善を思考する存在であることを示しています。

これをさらに発展させていけば、すべてを支配し、すべてを管理し、全てを指揮し、しかもすべての内部に存在する、無限の愛と叡智をそなえたあるもののイメージが浮かんできます。それを私は大霊と呼んでいるのです。
(新たなる啓示/193ページ)
大自然が悪い見本を用意するようなことはしません。大自然は宇宙の大霊すなわち神が顕現したものです。
(潮文社・シルバーバーチの霊訓8/180)


2019年09月17日