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【第45回】 シルバーバーチに倣って霊的真理を普及する

以下は、シルバーバーチが霊的真理を下ろす目的とその際の心構えについて語っている箇所を抜粋したものですが、今回は、ここから考えたことをお話したいと思います。まずはシルバーバーチの言葉を引用します。
私どもは決して真実から外れたことは申しません。品位を汚すようなことも申しません。また人間の名誉を傷つけるようなことも申しません。
私達の願いは地上の人間に生きる喜びを与え、地上生活の意義はいったい何なのか、宇宙において人類はどの程度の位置を占めているのか、その宇宙を支配する神とどのようなつながりをもっているのか、そして又、人類同士がいかに強い霊的家族関係によって結ばれているかを認識してもらいたいと、ひたすら願っているのです。
(シルバーバーチの霊訓9/19ページ)
何と温かく愛一杯の言葉なのでしょう。ここには、シルバーバーチが霊的真理を下ろす際に注意したことが3つ上げられていますが、それはそのまま、私達が霊的真理を普及する際に注意しなければならないことでもあります。
  • 真実から外れたことは言わない。

  • 人間の品性を汚すようなことは言わない。

  • 人間の名誉を傷つけるようなことは言わない。

この中で、シルバーバーチが「真実から外れたことは言わない」と言っていることは、とても重要だと思います。
それは、シルバーバーチほどの高級霊でさえ、霊的真理は、「そのままの形で伝える」ことを意識している証拠だと思うからです。

ですから霊界の道具である私達は、それに倣って霊的真理は曲げず汚さず、純粋無垢の状態のままで時期の来た人に伝えていかなくてはなりませんが、「心の道場」の皆さんの真理を扱う姿勢はよい手本となります。
と同時に真理の扱いが間違っている江原啓之氏についても、見ていきたいと思います。まずは「心の道場」のウェブサイトから抜粋します。
霊界の高級霊たちが総力をあげてもたらしてくれた霊的真理を扱う私たちは、最高の誠意を持って、それに臨まなければなりません。地球人類にとっての宝を、人間の手垢で汚すようなことをしてはなりません。
また真理の内容がたとえ厳しいものであっても、それを地上の人間の常識レベルに引き下げたり、適当にアレンジするようなことをしてはなりません。
霊界から与えられた真理は、常に純粋なまま人々に伝えようとしなければならないのです。私たちは霊的真理を、人間の手垢で汚さず、純粋なままの形で人々に伝える「霊的真理の灯台」になろうと決心しました。
(心の道場の紹介/心の道場のウェブサイト)
これに対し江原氏は、
スピリチュアリズム信奉者には、どういうわけか、とかく権威主義に陥る人々が多いようです。スピリチュアリズムとは高尚な学問であるとばかりに、ただ難しく語ればいいというような意味のないドグマに陥っている観があります。

確かにスピリチュアリズムは叡智です。だからといって権威主義に陥るのは大きな勘違いです。なにも「わかる者にだけわかればよい」と、敢えて難しい言葉を並べ立てる必要はないのです。
(江原啓之著「スピリチュアルな人生に目覚めるために」新潮社版/51ページ)
と持論を述べていますが、真理を純粋な形で伝えることは道具として当然であり、権威主義とは全く違います。それどころか、真理を万人に分かりやすくするためと称し、真理を「おもゆやおかゆ」にすることは明らかに間違っています。

それについて江原氏は、
相手のたましいの成長の度合いに応じて処方のしかたを変えていくという図式は、霊的真理をお米にたとえた場合の、人間とお米の関係に似ています。

離乳したての赤ちゃんに、もし普通に炊いたごはんをあげたらどうなるでしょう。消化不良を起こしてしまうはずです。赤ちゃんにはおもゆから食べさせ、やがておかゆに変えていかなければなりません。そして肉体が十分に成長した時にようやくごはんを食べさせることができるのです。
(スピリチュアルな人生に目覚めるために/25ページ)
と、あたかももっともらしいことを述べて、霊的真理のアレンジを正当化していますが、しかし霊的真理の伝道には、「時期の来た人から伝えていく」という大原則があります。
「時期が来ている人」とは、「霊的真理をそのまま受け入れられる人」という意味ですから、「時期の来ていない人」にアレンジしてまで伝えるものではないのです。おもゆやおかゆしか食べられないのであれば、ごはんが食べられるようになるまで待てばいいのです。それは、「わかる者にだけわかればよい」ということではありません。

霊的真理が分からないのは言葉が難しいからではなく、「霊魂が存在することに確信が持てない」からです。「肉体が全て」と思っているからです。
つまり「時期の来た人」と言うのは、「人間が霊的存在であることが分かる人」のことであり、それが理解できないと、「時期が来ていない人」にまで、真理を理解させたいと思いかねませんし、アレンジして理解できるなら「それでもいいではないか」となりかねません。

しかし霊的真理は「時期が来ていない人」にアレンジしてまで広める必要はありません。それどころか、絶対にしてはならないと思います。
なぜなら地上人類の為に審議された、ダイヤモンドの輝きを持つ霊的真理が、間違って伝えられることで輝きを失いかねませんし、過去の過ち(人間の手が加わったことで、本来の啓示と違ってしまった)を、再び繰り返すことになりかねないからです。

霊的真理は時期さえ来れば誰にでも理解できるのですから、純粋なままで人々に伝える姿勢は絶対に崩してはならないと思います。
「真実から外れたことは言わない」とシルバーバーチが言っていることは、そうした意味が含まれていると思います。

よって霊的真理は、どんな場合も絶対に曲げず汚さずアレンジせず、純粋なまま一人一人に丁寧に伝えていこうと、自分自身に新たな誓いを立てました。

2006年11月15日