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【第79回】 私が考える、瞑想・祈りの意義

霊的人生を歩むには、霊的存在としての自覚を持つことが何より重要ですが、それには瞑想と祈りは欠かせません。
そこで私は毎朝一人静かに瞑想と祈りの時間を持つことにしていますが、瞑想中に思うのはおおむね次のことです。

―私はこの肉体ではなく肉体と霊体を携えた霊である。肉体も霊体も私の表現器官に過ぎず本質は霊にある。
霊体は地上にいる間は感知できないが、肉体に重なるように存在し、死後は霊体で生きていく……

霊体は私(霊)の霊的成長に伴い精妙さを増し、地球圏霊界を抜けるころには霊体すら不要となる。そのとき私は光り輝く存在(光源体 ※)になっている……

霊は本来、物質を全く必要としない崇高な存在であり、進化すれば“霊と霊の心”だけで存在可能となる。霊的成長とは物質性を減らすことであり、それが神に近づくことでもある─

瞑想の最後にイメージするのは“神の光りの中にいる自分”ですが、瞑想に慣れると短時間で精神統一できるので、遠い未来の自分に思いを馳せずとも、はじめから神の光りの中に自分を置くことができます。
瞑想のあとに神に祈る言葉はただ一つ……「どうぞこの私を人類救済の道具として存分にお使いください ! 」

これを私は毎朝していますが、霊的存在として地上人生を送りたいのであれば、自分が霊的存在であることを、心に強く印象づける何らかのアクション(私の場合は毎朝の瞑想・祈り)が必要です。それと霊的意識が保てているかどうかのチェックが必要です。
私は、一日二回、正午と就寝前にチェックしていますが、いずれにしても“霊的意識を持つことを意識する”ことが霊的人生を歩むには必要だと思います。

それに加えてシルバーバーチの言うように、毎朝を心弾ませて迎えることだと思います。
毎朝を霊的に成長する好機の到来を告げるものとして、希望に胸をふくらませて迎えることです。それが叡智の道です。
(シルバーバーチの霊訓8/64ページ)
祈りの効用について書かれている箇所を、霊訓より抜粋します。
祈り―
(中略)
それには言葉も身構えも形式もいらぬ。むしろそうしたものへのこだわりが消えた時こそ最も真実味を帯びる性質のものである。
必要なのは背後霊の存在の認識と、それとの霊交を求めんとする直情的衝動のみである。そのためには日頃の訓練が望まれる。
(中略)
日頃より霊性に目覚めた生活を営む者ほど霊的世界の深奥に深入り出来ることになる。その種の者にはわれらの方からも近づき易い。
(中略)
彼らは地上に在りながら極めて高き霊性を発揮する。何となれば、日頃より霊と交わることを知り、霊的栄養を摂取しつつあるからである。
(中略)
そして不断の祈りによりて彼らは、少なくとも、地上生活においては苦しみも悲しみも魂の生長にとりて必要不可欠であることを悟りつつ、なおそれに超然とした生活を送ることが出来るのである。
(霊訓完訳・上/168ページ)
※“光源体”については、ニューズレター43号/25ページをご覧ください。

2009年09月15日