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【第21回】 尼崎の列車事故に思う

多くの犠牲者を出した尼崎の列車事故は、日本中に大きな衝撃と悲しみを与えました。
事故に遭った方々、特に親族を亡くされた方々の心痛はいかばかりかとお察し致します。また負傷された方々には一日も早く快復されますようにお祈り致します。

この度の列車事故について、シルバーバーチの霊訓を学んでいる方から次のような内容の質問がありました。
亡くなった方々のことを霊的にどう考えたらよいのか。その方々は今どうしていらっしゃるのか。テレビ番組で霊能者が事故で亡くなった人の霊と交信しているのを見たが、そうした霊は地上に沢山いるのだろうか。「500に及ぶあの世からの現地報告」を読むと死は幸せで楽しそうだが、しかし突然家族を失ったらやっぱり悲しいし寂しい。損傷した遺体を見たらやり切れないと思う。どう考えたらよいのだろうか。

霊訓を学んでいる者なら、この度の事故をただ悲しい出来事として見るのではなく、霊的観点から捉えよう・考えようとするのは当然のことですし、またそうすることで冷静に受け止め心を霊的に収めることができます。今回は、尼崎の列車事故を霊的観点から考えてみたいと思います。

シルバーバーチはこの世に起きることに「偶然はない」と言っています。ですから、多くの人が一度に亡くなる場合はその死は定められていた・寿命と考えるのが真理に適っていると思います。が、その一方でシルバーバーチは、ご主人を亡くした女性に対して「あの事故はアクシデントでありご主人は死ぬ時期ではなかった」と言っています。

そこで私は個人の死に関してはアクシデントによる死が全くないわけではないと理解しましたが、果たしてそうしたことを正確に知る必要があるのかという疑問もあります。

要は霊的真理によって死を正しく理解することが重要なのであって、死を正しく理解した者には、自分や親族の死が必然であろうとアクシデントであろうとどちらでもよいことであり、結局のところ事故死とは、地上で学ぶ道具・肉体を失っただけのことなのだと思います。

事故死は、突然のことだけに霊界での調整期間が長くかかるかもしれませんが、シルバーバーチは「霊界はとてもうまく出来ている」と言っていますし、一人ひとりに守護霊も付いているので心配することは何もないと思います。
また負傷したことも、霊的真理に照らしてみれば意味があることなのだと思います。

地上で長生きすることが目出度いことでもなければ、早く霊界に行くのがいいわけでもありません。
一人ひとりの霊にとって成長への最善の道が用意されているのですから、心配することはないと思います。

今回の事故に限らずこの世の困難や苦しみは、当事者が霊的真理に照らし、守護霊と共に乗り越えるものであり、正しく乗り越えれば、そこには必ず霊的な恩恵がもたらされるようになっています。その霊的恩恵とは心の平安と魂の成長です。それはこの世における最高の宝です。

事故から思うのは、私たちには霊界へ旅立つ日を、自分で知ることは出来ない(潜在意識は知っているはずです)ということです。いつ旅立っても後悔しないように、日頃から霊を中心とした、利他主義の正しい生き方をしていかなければと思います。

永遠進化の通過点に過ぎない死を、地上人は大袈裟に考えますが、霊的事実から見ればそれは間違っています。死は取り立てて重要視することではなく、大切なのは死そのものより、日頃どう生きるかでありそれがその人の中身を決定付けます。

物欲に捉われず利他的に生きていれば、死など恐れる必要はないと思います。それに、地上で暮らそうと霊界で暮らそうと何も変わらないのですから……

死によって一時は別れ別れになったかに思えても、真実の愛の絆があるところに別れはありません。
死は絶対の別離ではなく、ほんの一時、地上と霊界で離れて暮らすだけのことなのです。地球という小さな枠の中だけで考えるから、死別を永遠の別れのように思ってしまうのです。

そうした人々にとって死は人生最大の悲劇になるのでしょうが、本当は真理を知らないことの方がずっと悲劇です。
そもそも愛と慈悲の神が、愛する者同士を永遠に引き裂くと思いますか。そんなことをするはずがありません。
死による悲しみは不要のものであり、霊的真理を知れば悲しむことはなくなります。全ては霊的無知から来ています。

心の道場出版の「500に及ぶあの世からの現地報告」は、死後の存続の確証を得るのに最適です。また、すでに死後の存続の確証を得ている人は、人間は死によって何も変らないことを知ることができます。

尚、天災や人災で多くの人が同時に亡くなる場合の霊的見解については、ニューズレター9号で取り上げています。私は、そこから「霊的視野で見ると、こうなのか」という確証を得ましたが、真理とのなじみが薄いと「本当かな」という思いが湧くかも知れません。
が、それはそれでよいと思います。今は「霊的にはこう見るのか」という程度でも、真理の理解が進むと心から納得できるからです。

真理の理解度は一人一人異なりますので、背伸びせずに自分の理解度にあわせて、少しずつ深めていけばよいことだと思います。

2005年06月02日