境界境界コラム境界お問い合わせ境界リンク
大きくする小さくする
読書会のご予約
TOP > コラム
コラム

【第72回】 「生前の生き方」と 「死後の後悔」

「スピリチュアリズムの思想 I 」の5章─地獄とは─には、“死後の後悔”と“地獄の苦しみ”について書かれています。そこから私は次のことを学びました。
  • 善人であっても利他的な地上人生を送らなければ、死後後悔の念で苦しむ。すなわち“善人”というだけでは駄目ということ。霊中心の利他的生き方をしない限り、死後の後悔と苦しみはまぬがれない。

  • 自分の地上人生が摂理に一致していなかったことに気付くのは、霊界へいってからである。すなわち本当の自分の姿を知るのは、肉体を失ってからということ。肉体があるうちは、自分の真の姿は見えない。

地上人の大半は、自分の生き方が間違っているとは思っていませんから、死後霊界で間違いに気付いたときの後悔と苦しみは、それはそれは大変なものだと思います。
貴重な地上人生の全てを霊的成長と無縁なことに費やしてしまった後悔と、過ぎ去った時間を取り戻せない苦しみは、地上の後悔・苦しみどころでないことは容易に察しがつきます。

真理を知らない人(霊)でも、これほど後悔し苦しむのですから、真理を知った私達が摂理に背く生き方をしたなら、その後悔、苦しみは知らない人(霊)の何倍・何十倍にもなると思います。
その計り知れない後悔、筆舌に尽くし難い苦しみは、まさに地獄と呼ぶに相応しいと言えます。

さて私達スピリチュアリストにとって重要なのは、こうした事実を実感できるかどうかということです。
実感できれば、迷うことなく摂理に一致した生き方ができますが、実感できなければ、今までの生き方(利己的・物質的生き方)から抜け出すことはできません。
それゆえ何としても、後悔と苦しみの念に苛まれている霊達がいることを実感することだと思います。

何十年かのちに必ず始まる霊界での生活、そのときを後悔と苦しみで迎えるのか、やり遂げた満足感と喜びで迎えるのかは、私達一人一人の問題です。
物質中心のこの世にあって、摂理に適う生き方をしていくのは並大抵のことではありませんが、霊界での喜びを心に強く描くことで、どんな困難も障害も乗り切れると私は思います。

2009年02月15日