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【第46回】 諦めの念・諦念について考えたこと
諦めの念・諦念には、二つのケースがあると思います。その一つは、諦めてはならないことを「諦めてしまう場合」、もう一つは、諦めて素直に受け入れる方が摂理に適っているのに「諦められない場合」です。人間は往々にして、諦めてはいけないことを諦めてしまい、諦めて素直に受け入れる方がいいのに諦らめられないことが多いように思います。しかし摂理を知ったからには、諦めてならないことと、諦めて素直に受け入れる方がいい場合の区別をしっかりつけることだと思います。
まず「諦めてならないこと」の筆頭は、スピリチュアリストであれば、霊的真理を深く知ることと、地上に霊的真理を普及させることだと思います。
そのためには魂成長の為の4つの実践項目(ニューズレター創刊号を参照)によって自分を切磋琢磨していくこと。そしてよき霊界の道具になること。神や霊界を実感できるようになること。全人類を霊的同胞として、さらには霊的一大家族として見られるようになることであり、それは絶対諦めてはならないことだと思います。
真理探究を諦めてならない理由は、地上人生を有意義で豊かなものにするためですが、その参考になるのが「天国と地獄」(幸福の科学出版)の中にありますので、その箇所を抜粋します。
霊実在論(筆者注:スピリチュアリズムのこと)を知ってはいたが、詳しく勉強したことはなかった。霊実在論に興味は抱いていたのだが、それが彼女の心を占めることはなかったのである。霊実在論が真実であることは分かっていたのだが、深く研究してみようという気にはならなかったということである。
(中略)
ああ、友人のみなさま、わたくしが、生前、みなさま(筆者注:スピリチュアリストのこと)のお話をよく聞いていれば、現在の生活は、どれほど変わっていたか分かりません。神様の御心をもっと信頼し、流れに身を任せていたならば、最後の苦しみも、もっともっと和らいだことでしょうし、肉体と魂の分離も、もっと簡単に行われたことでしょう。でも、わたくしを待っていた死後の世界に目を向けるよりも、目の前の現実に執着してしまったのでした。
次回、地上に転生するときには、必ず霊実在論者(筆者注:スピリチュアリストのこと)になるとお誓いいたします。
(中略)
ああ、友人のみなさま、わたくしが、生前、みなさま(筆者注:スピリチュアリストのこと)のお話をよく聞いていれば、現在の生活は、どれほど変わっていたか分かりません。神様の御心をもっと信頼し、流れに身を任せていたならば、最後の苦しみも、もっともっと和らいだことでしょうし、肉体と魂の分離も、もっと簡単に行われたことでしょう。でも、わたくしを待っていた死後の世界に目を向けるよりも、目の前の現実に執着してしまったのでした。
次回、地上に転生するときには、必ず霊実在論者(筆者注:スピリチュアリストのこと)になるとお誓いいたします。
(天国と地獄 I /110〜114ページ)
ああ、地上の人々が死後の世界を知ることができたら、どんなによいことでしょうか。そうすれば、逆境にあって、どれほどの勇気、どれほどの力が得られることでしょう。
(天国と地獄 II /35ページ)
ああ、みなさん、死後がどうなるかを知らなければ、人生とはつらく困難なものです。しかし、これは誓って申し上げますが、もしあなたがたの人生が神の法に適ったものであったならば、死後に待っているのは、想像を絶する報いなのです。
(天国と地獄 II /71ページ)
もし、死んだときに、あなたの体から霊をただちに分離させたいのだったら、どうか、まっすぐな道を歩んでください。神を愛して生きるのです。祈るのです。そうすれば、ある人々にとっては恐るべきものである死も、あなたがたにとっては優しいものとなるでしょう。というのも、あなたがたは、死後にあなたがたを待っている生活がいかなるものであるかを、すでに知っているからです。
次は「諦めて素直に受け入れる方がいい場合」ですが、それについて「天国と地獄」の通信霊が語っている箇所を抜粋します。(天国と地獄 II /115ページ)
あなたが地上において大きな苦しみを与えられたのには、それなりの理由があったのです。息子さんの死によって、あなたは諦念というものを学ぶ必要があったのです。
(天国と地獄 I /183ページ)
キリスト教徒であり、霊実在主義者(筆者注:スピリチュアリストのこと)でもあり、また霊媒でもあった彼女の娘が、祈りの中で、神に、「母親のひどい苦痛を和らげてください」とお願いしたことがある。
すると指導霊が出てきて、「むしろ、母親が、諦念と忍耐をもって苦しみに耐える力を得ることができるよう、神様にお願いしなさい」と言い、さらに、次のようなメッセージを伝えてきた。
(中略)
どのような、肉体的、精神的苦痛であろうと、諦念をもって耐え忍びなさい。
(中略)
今世は、勇気をもって、そうした試練に耐えなければなりません。苦しみはひどく、また長いかもしれませんが、忍耐強く、諦念をもって、謙虚に耐え忍んでください。そうすれば、それに対する報いは大きなものとなるのです。
ここから分かるのは、地上人生には「諦念が必要な場合もある」ということです。すると指導霊が出てきて、「むしろ、母親が、諦念と忍耐をもって苦しみに耐える力を得ることができるよう、神様にお願いしなさい」と言い、さらに、次のようなメッセージを伝えてきた。
(中略)
どのような、肉体的、精神的苦痛であろうと、諦念をもって耐え忍びなさい。
(中略)
今世は、勇気をもって、そうした試練に耐えなければなりません。苦しみはひどく、また長いかもしれませんが、忍耐強く、諦念をもって、謙虚に耐え忍んでください。そうすれば、それに対する報いは大きなものとなるのです。
(天国と地獄 I /279〜282ページ)
こうして「二つの諦念」について見てきて思うのは、与えられた困難苦難に対しては、諦念をもって乗り越えることと、真理の探究や真理の実践に対しては、それがどんなに困難でも、諦めず忍耐強く成就していくということです。
その見極めをきちんとすることが、霊的成長には欠かせないので、よく見極めて正しく対応していきたいと思います。
2006年12月15日