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【第154回】行為が最も大事、でも思念も同様に大事

スピリチュアリストであれば“行為が最も大事”なことは分かっていますが、2月のある事件から“思念”も行為と同様に大事だと思いました。

それは覚醒剤所持と使用で逮捕された清原和博氏と、不倫問題で議員辞職した宮崎謙介氏の街頭インタビューに人々が「またやるんじゃないですか」と答えていたからです。

確かに人間は同じ失敗を繰り返しやすいものですが、やるかどうかも分からないうちからそう思うのは愛がないように思います……

ましてや神の摂理は、何度でもやり直せるようになっています。それはすなわち「やり直しのチャンスは、いくらでもある!」ということです。ですから私達は、いついかなるときも、誰に対しても、愛の思いで更生・成長を願えなければならないと思うのです。

私達が持つべきは“摂理に適った愛の思い”であり、それが相手のため、自分のため、社会のためになるのです。

なぜなら一人一人の思念が、現実の行為となって社会はつくられていくからですが、私達は良くないニュースを見聞きすると、ついつい悪感情や悪い思いを持ちがちです。

そこで必要なのが、神の摂理は何度でもやり直せるようになっていること、全ての人に神性が宿っていることを思い起こすことです。

そうすれば、心に湧いた悪感情も悪い思いも払拭できて、相手の更生・成長を願えます。神性が宿っている以上、誰もが必ず向上進化するのであり、いつまでも“今のまま”ということはあり得ないのです。

ここに私は、“神の愛の真髄”を見ます。何度失敗しても、何度でもやり直せて向上進化できる、これこそが神の愛であり、これ以上深い愛はないと思うのです。

ですから、私達は神に倣って、いついかなるときも愛の思いで相手を眺め、愛念で包むことだと思います。がしかし、思念は他人から見えないので「何を思おうと勝手だ!」となりがちですが、地上人の思念は、霊界の霊達には丸見えです。オーラとして見えているのです。

だからこそ守護霊の援助も得られるわけで、地上人の愛の思念には善霊が引き寄せられ、その愛の思念を何倍にも膨らませます。一方、愛のない思念には低級霊・未熟霊が引き寄せられ、その思いを煽ります。

それともう一つ忘れてならないことは、私達の誰もがそう遠くない将来、思念の世界・霊界で暮らすことになることです。

だから私は、今から自分の思念をしっかり管理して、いつでも、どこでも、誰に対しても愛念だけが持てるようになっておきたいのです。

もちろん地上界では思念は行為の代用になりませんから、行為が最も大事なのは言うまでもありませんが、行為の前には必ず“思念”があります。

愛の行為には愛の思念があり、愛のない行為には愛のない思念があるのです。そして、これこそが、私が行為同様に思念も大事だと思う理由です。

最後に、両氏の更生と霊的成長を心からお祈りいたします。
もちろん田児賢一氏と桃田賢斗氏の更生と霊的成長も併せてお祈りいたします。

2016年04月15日