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【第37回】 死後の世界を知ったことは本当に凄いこと

肉体の死後も生き続けることを知ったことは本当に凄いことです。しかも地上とは比較にならないほど美しい世界で生き続けることを知ったことは、本当に素晴らしいと思います。またそれを知ることで、生き方や人生観まで変わるのですから、その意味においても凄いと思います。

そこで今回は、死後存続の事実を知ったことで、私の死に対する思いがどのように変わったか「自分の死」と、「家族等の近しい人の死」の二つに分けてお話してまいります。

まず「自分の死」については、とても楽しみになりました。
それは、死によって会えなくなっていた人と、再び会うことができるからです。例えば数年前に他界した両親や、私の誕生を心待ちにしながら会うことなく他界した祖父、霊界の家族ともいうべき類魂に会えるという楽しみが沢山あるからです。

しかし、一番会いたいのはイエスとシルバーバーチです。叶わぬこととしりつつも、叶うものなら会いたい!!そして真理を降ろしてくれたお礼を一言申し上げたいのです。

その他にも楽しみは沢山あります。肉体を抜け出た後の大きな自分(大我)を自覚できることや、地上とは比較にならないほど鮮烈に神の愛を実感できるなど、死によってもたらされる楽しみは沢山あります。数え上げたら切りがないほどです。こうして私は、死を恐れたり忌み嫌ういわれは全くないことが分かり、地上人生の終末に微塵の暗さも持たなくなりました。
また金銭や病気の心配をせずに、個性を伸ばすことに専念できるのも素晴らしいことだと思います。私はそこに神の深い愛と慈悲を感じ、私の死に対するイメージはますます変わってしまいました。

今では死は素晴らしい世界への登竜門であり、霊界は早くいきたい憧れの世界であり、同時に地上世界は霊界への身支度を整える場であることがよく分かるようになりました。闇黒から光明へ導かれるとは、こういうことを言うのだと思います。

「家族等の近しい人の死」についても、不安や恐れ、悲しみや絶望といった思いを持たなくなりました。
それは、死を別れとしてでなく、隣の部屋へちょっと移動した程度のこととして捉えられるようになったからです。
死んだからといって消えてしまうわけでも、遠くへ行ってしまうわけでもなく、壁一つ隔てた隣室程度の至近距離にいることを実感できるようになり、近しい人の死に対する思いは一変しました。

見えないけれどすぐ傍にいるわけですし、心を通わせることはいつでもできます。それに自分が他界すれば必ず会えるのですから、悲しんだり絶望したりするいわれはないのです。まして地上よりずっと住みよい世界へいくのですから安心です。

こうして死の理解が深まるにつれ、霊界にいる両親を地上にいた時より身近に感じるようになり、愛念を送っては心を暖めていますが、これは愛が死によって失わない証だと思います。

それについてのシルバーバーチの言葉です。
かつてあなたが愛し、またあなたを愛してくれた人々があなたを見捨てることは決してありません。言うなれば、愛情の届く距離を半径とした円の範囲内から出ることなく、あなたを見守っております。時には近くなり、時には遠くもなりましょう。が、決して去ってしまうことはありません。
(シルバーバーチは語る/243ページ)
死とは、本格的な霊性進化への幕開けであることが実感できるようになったのも、霊的真理に出会えたからであり、真理に出会えた素晴らしさ、有り難さを改めて痛感するところです。

肉体との分離の際には守護霊が付き添ってくれますし、霊医の助けや、すでに他界した親族や友人知人の出迎えもあるので恐れることは何もありません。
「あなた方はなぜそんなに死を恐れるのか。死は人生のご褒美であり、牢獄からの開放である」というシルバーバーチの言葉が身に沁みます。死はまさに喜びです。

もしも死にまつわることで悲しむことがあるとしたならば、それは死後の世界があることを知らずにあの世に旅立つことだと思います。

2006年04月15日